経営

自由と責任・権利と義務の本質を知れば社長はもっと楽になれる!

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「自由」について

私の世代だと、「自由」といえば、尾崎豊さんのことがふと頭をよぎります。
私自身は彼のファンではないですが、当時、エネルギッシュで相当インパクトが強かったので、よく記憶しています。

freedom-responsibility02あくまで私の解釈ですが、彼の多くの歌の中心には、反抗や抵抗というテーマがあったように思います。大人や社会や体制、大きな力に抑圧、抑制されることなく、自分の意のままに振る舞いたい。でも、まだ大人になり切れない中途半端な若さや人格的な未熟さゆえに、生き方をうまくコントロールできないもどかしさや葛藤が歌詞の中に見え隠れしていました。

子供は自由です。我が家の子供たちは、まだ幼く自由気ままに振る舞います。その姿は、子供らしくてかわいらしいものです。素直で正直なところが自由な行動に拍車をかけるわけですが、しかし、自由の度が過ぎて私や妻に叱られることもしばしばです。ということは、自由さと素直さは紙一重ですね。いや、表裏一体と言っても良いのかもしれません。

子供たちの度が過ぎた時の自由さは、「自分勝手」や「わがまま」と呼ばれるものです。他人のことを考えずに、自分の思い通りにしたい気持ちがコントロールできないわけです。しかも、思い通りにならなければ泣きわめくし、手足が出る。大人になっても、このような自己中心的な自由を欲しがる人がいますが、当然ながら、社会性に欠如した人だと周囲から判断されることになります。

人間は他者と共存し、社会の中で生きることが、生まれついての使命であり、また、その中で幸せに生きて行くことも、個々の人生における使命です。それを実現して行くことが人間として成長するということであり、大人になるということだと思います。ですから、他者を配慮しない振る舞いは、社会的に受け入れられず、一人前としては認められません。

子供から大人になる過程で、人は自立することを学びます。特に親への依存から自立の道を辿り始めます。動物の世界では親の元を離れ、強制的に独り立ちさせられることになるわけですが、人間と決定的に違うところは、自立の失敗は、すなわち死を意味することになるという点です。

動物は生まれついての自由な存在です。英語でいうところの「フリー」とは「最初から自由な状態」であること。つまり、野生の動物は「フリー」なわけです。動物の世界は、人間の社会のように、法律も制度もルールもマナーも何もありません。ですが、常に天敵や食料の危機と隣り合わせです。

freedom-responsibility03自由である代わりに、同時に厳しい世界を生き抜かねばならないということにもなります。つまり、自分の命や生き方に、究極的に自分自身が「責任」を負っているということです。すぐに食料が手に入らないという物理的な不自由さはありますが、当然そんなことに「なぜ?」という疑問などありません。

ところが、人間の場合、いつまで経っても親に依存し、脛をかじり続けることもよくある話ですし、たとえ自立に失敗したところで死ぬことはありません。動物とは違い、生命の危険に晒されることもなく安心安全は確保されています。よって、自分の人生に「責任」など感じることなく、平然と他人に対しても「無責任」に生きている人は少なくありません。

そして、多くの状況で不自由さを感じている人が多いのも現実です。不平不満をもらしては自分の不幸を呪い、他人の幸せに嫉妬するのです。しかし、野生動物とは違い、人間社会には「なぜ?」がつきまといます。

さて、生命の危機を脱するために、人間が構築してきた生き抜く術のひとつが法律やルールです。ところが、皮肉なことに、同時にそれらが人の自由を奪うということも事実です。

「フリー」に対して、「リバティ」や「リベラル」という英語の意味は、「不自由な状態から開放された状態」ということになりますが、社会性を帯びた存在として、人間が抱える大きな課題がこの言葉には詰まっています。この「リバティ」を求める人間の意思や行動が、戦争や革命などの多くの争いの歴史をつくってきました。

このようにみると、一口に「自由」と言っても、置かれた環境や見る視点によって異なりますが、野生時代の原始人ではない、多くの現代社会の人間が求める「自由」のイメージは、どうやら「リバティ」が近いようです。

以前、ある知人から自分の将来的なことに対して相談をもちかけられました。そのとき、私は彼の話を聴いていて、すでに自分のやりたいことは決まっているようだと判断したので、これと言って何も言うことはありませんでした。なので、「思ったようにやってみたら?」と一言だけ相手に投げたわけです。

すると、彼は、こう切り返して来ました。
「いやいや、そんなこと言わずに、何か意見を言ってください」と。
そこで私は、少し意地悪に「じゃ、私があなたの進む道を決めてもいいですか?もしくは、反対の意見を言ったら受け入れてくれますか?」と尋ねると、彼は黙り込んでしまいました。

おそらくほとんどの人が同じような反応をするでしょう。つまり、他人には自分の人生を決められたくはないわけです。
これは、当たり前なことです。結局は自分で決めたいと思うのが人であり、本質的な欲求でしょう。

誰かに決められる人生は、自分の人生ではありません。自分で決められる環境があることが、より幸福で「自由」を感じるために必要な要件になります。つまり、「選択肢」の存在や有無によって、「自由」が生まれるかどうかが決まることになります。

【まとめ その1】:「選択肢があり、自ら決めることができる環境があることで「自由」を感じることができる

 

「義務」が生み出す弊害

freedom-responsibility04不自由な環境には「選択肢」がありません。
「選択肢」がないということは、一方的に決められる環境に置かれるということになります。
そこに自分の意思が反映されることはありません。

自分の意思ではなく、他者の意思が反映された状態を、「義務化された状態」といいます。

「義務」は、強制力の元に「従うべきもの」として一方的に押し付けられるものです。大きなところでは国から始まり、会社や家族に至るまで、自分が属する組織やシステム内に存在するルールが「義務」であり、それは絶対の存在となります。

当然ながら、「義務」に反した場合、制裁が待っています。最悪の場合、属する組織からの追放や死が待っています。会社ではクビ、国なら死刑です。

義務に強い強制力を持たせる手段として、恐怖によるコントロールを行われることがあります。人は不自由であることは嫌ですが、制裁を受けることはさらに嫌がります。しかし、それが義務である以上、逃げ道はありません。よって、人は義務化された状態を本能的に嫌厭しようとします。

ここで厄介なのは、この義務化された状態に「なぜ?」を感じてしまう時です。この「なぜ?」という疑問が心の中に芽生えると、一見すると、どうにもならないような大きな力を敵に回すことになり、結果としてどうしようもない葛藤に心がさいなまれていきます。まさに冒頭の尾崎豊さん状態です。もし、この「なぜ?」が会社全体を支配すれば、社員からの抵抗や反発を招くことになるでしょう。

一方で、何ら抵抗することもない、おとなしい人たちばかりの組織もあります。
このような組織は一見すると良好なように見えますが、その実状は諦めに支配されている状態です。

いずれにせよ、不満や諦めに支配されている組織が、「どうしたら?」を考えることはありません。
つまり、「どうしたらより良くなるのか?」という自発的に改善していく力が欠落しているのです。ここが失われている状態は、人間の体でいえば、免疫機能を失って病気になりやすい体質になっているようなものです。

では、自立した組織をつくり、より良くしていくためにはどうすればいいのか?
それには、外側の環境に向ける「なぜ?」ではなく、自分の内側に問いかける「どうしたら?」の文化を醸成するマインドが必要となります。

人間が「自由」を感じるためには、「義務」がより少ない状態であることにこしたことはありません。ルールやマニュアル、仕組みづくりに忙しい会社がありますが、そうした会社は、同時に不自由な環境づくりに忙しく精を出していることに気づいていません。良かれと思ってしていることが、自ら病気に対する免疫力を下げていることには盲目となってしまうのです。

【まとめ その2】:過度な義務化が「自由」と「自立」を奪う

 

 「権利」とは何か?

「義務」に対して常に浮上するのが、対義語の「権利」です。
あなたが経営者やリーダーならば、「権利を主張するなら、義務を果たせ!」というような気持ちになったり、実際にお説教をしたことはないでしょうか?

「権利ばかりを主張して義務を果たそうとしない、勝手で自己中心的な奴だ!」
そうやって経営者やリーダーたちは、日々頭を抱えたりしています。そして、その結果として出た答えのひとつが、義務化を加速させることなのです。言うこときかないから、言い訳ができない様にさらにがんじがらめにする。さらなる不自由化の始まりです。

こうなると、完全に対立の構図ができ上がってしまいます。「義務」の押し付け」と「権利の主張」の対立です。
経営者たちは次々とルール化を行い、従業員たちは、そのルールや仕組みを逆手にとって抵抗を始めます。働く時間や休暇、給料のことなどばかりに目が向き、なるべく少ない労働時間と少ない労力で多くの報酬や待遇を得ることに全力を注ぐようになります。

会社や全体の利益や成果のことなど考えず、自分の利益を最大化することにエネルギーを注ぐことになるのです。このような会社が大きな成果を得ることはないでしょう。

freedom-responsibility05では、そもそも「権利」とは何でしょうか?
一般的には、ある行為をする、あるいはしないことを自由にできる地位や資格や能力のことです。また、一定の利益を主張することや、享受することを認められた地位や資格を有することでもあります。

報酬や休暇などは、法律やルール上では、努力することなく、はじめから与えられている権利であり、「権利を主張するなら、義務を果たせ!」は、実際の働き方と、「努力することなく」というところに生じるギャップに不満が生まれた結果です。しかも、権利を特権のように扱われることで、さらに関係性に亀裂が入るのかもしれません。

働き方に不満を持つ経営者と待遇に不満を持つ従業員・・・。

「義務」は「不自由」の象徴のような言葉ですが、ならば、「権利」は「自由」の象徴となるのでしょうか?
両者の関係性は、平行線で交わることのない「自由」を巡る戦いなのでしょうか?
お互いが歩み寄る道はないのでしょうか?

【まとめ その3】:「権利」を主張すれば「義務」が加速する

 「義務」と「責任」の違い

「義務」に似た言葉に、「責任」があります。日本では、「責任」というと、取るものという印象が強くあるように思います。義務に反すると制裁が待っているわけですが、世間一般では、この制裁のことを「責任」と同義としてとらえているようなきらいがあります。つまり、罰やペナルティを受けるということでです。ここでの解釈としては、「責任」は「罰」と同じ意味となります。

freedom-responsibility06「義務」に反すると「責任」が待っている。
辞書を引いてみると、全くそのような意味合いの文章が並んでいます。

  1.  立場上、当然負わなければならない任務や義務。
  2.  自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。
  3.  法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。

大体このようなことが書いてあり、どの辞書を引いても書かれている意味合いは同じです。ところが、日本以外では「責任」の意味が大きく異なります。少なくとも英語圏では、全くと言うほど、とらえ方が違います。

英語で責任は「responsibility」です。この言葉を分解すると「response」と「ability」になり、それらを直訳すれば「反応する力」となります。それは、「義務」の様に受動的ではなく、能動的に自ら動く力や能力を意味しています。同じ「責任」という言葉も、国や文化が違えば、その意味合いが全く異なるのです。

「義務」のように「不自由」な概念ではなく、「責任」には「意思」や「自由」が含まれています。つまり、日本での「責任」の認識とは真逆なのです。

「義務」と「責任」が対義であるということは、「義務」は「反応しない力」ということになります。実は、「義務」と「責任」の捉え方の中に、「自由」を考える上での大きな可能性が潜んでいるのです。このことは、経営者にとって大きな可能性であり、リーダーとしてフォロワーを導いていく際に礎となる大事な考え方で指針となります。

次章からは、この点について記述して行きたいと思います。

【まとめ その4】:「責任」と「義務」は違う。「責任」とは「反応する力」。「義務」は「反応しない力」

 

自立した組織にならない理由

「義務」と「権利」は対義語ですが、捉え方によっては、同じ要素を含んだものとなります。つまり、二つの言葉は同義語だということです。

現代社会では、「義務」と「権利」は自分の意思と関係なく最初から与えられています。一見「権利」と「自由」が同じようなものに考えがちですが、本来の「権利」は有限です。「権限」ともいわれますが、言葉のとおり限りのあるものです。例えるならば、与えられた土地の中で放牧された家畜のようなものです。「不自由」な世界を「自由」であるかのように勘違いした、大海を知らない井の中の蛙と同じです。

freedom-responsibility07ダメな経営者、リーダーや上司やマネージャーは、しばしば、この権限を振りかざし威張り散らします。しかし、権限を行使された人間からすれば、地位や立場を利用して「権利を主張するなら、義務を果たせ!」と言われているようにしか思えません。

このような上司のいる組織は不幸です。上司は一定の小さな自由を謳歌していますが、その逆に部下たちは不自由を押し付けられることになります。つまり、権利と自由をはき違えることで、不自由や不幸が生まれるのです。

有限な世界の小さな「自由」の奪い合いと、「不自由」の押し付け合いの構図です。権利や権限を個人の「自由」であるがごとく主張すれば誰かに不幸が訪れるというわけです。

与えられるものには、「依存」がつきまといます。甘やかされて育った子供をみれば一目瞭然です。「依存」の対義語は「自立」です。「依存」が進めば「自立」ができなくなります。とどのつまり、「義務」や「権利」にまみれているような組織には「自立」は訪れないということです。

「どうして、うちの社員たちは自分で考えないし、動きもしないんだ!」
「まったく、もっと自立して行動してもらいたいもんだよ・・・」

こんな風にいつも思っていたり、実際に口に出して愚痴っている社長さんによくお会いしますが、率直に言えば、このような方は自分の経営する会社で実は何が起こっているのかを把握できていません。

まずは、依存状態に陥るメカニズムを知ることが必要です。「依存」が進むと、もはやそれ無しではいられなくなります。わかりやすいのが、タバコやアルコール、薬物などの中毒者の姿です。極度の依存状態に陥れば、自分の意思だけで自分をコントロールできなくなります。
依存は自分以外の人や物や環境などからの影響にコントロールされている状態であり、「自由」を失っていることとイコールなのです。

【まとめ その5】:「依存」が「不自由」な環境を生み出し、それが「自立」の邪魔をする

 

フォーカスすべきは「責任」

「権利」と「義務」の議論を繰り返している間は、「自立」は生まれません。
もしも、自らの会社を「自立」した組織として運営をしたいのならば、「自由」と「責任」の関係性を理解し、組織内で共有しなければ実現はできません。

言葉の意味を頭で理解するということではなく、そのような風土や文化をつくるということです。前述のとおり、「責任」を英語で意味するところの「反応する能力」であると解釈したいところです。

freedom-responsibility08与えられるままではなく、自ら反応し、適応し、対応していく力。そこには、明らかな「意志の力」が存在しています。この態度を「主体性」といいます。言い換えるならば「選択する力」です。

私達は、自分の意思で自らの道を決められることで「自由」を感じることができます。元来、人は「自由」を望む存在ですから、決めることができる環境があれば、主体性が自然と生まれます。結果、「責任感」や「責任能力」と呼ばれるものが育まれるようになります。「義務を果たせ!」などと口酸っぱく指示命令などしなくても、自然な形で自立が促されていきます。他の影響力に頼らず、自らの主体性や自主性によって行動することで「自由」を感じることができるようになります。

逆に、「自由」を感じることができれば、「責任(主体性)」が生まれます。ということは、「自由」と「責任」の関係は表裏一体であるということです。

「権利」と「義務」も表裏一体です。しかし、それはあくまで「不自由」を押し付け合う関係です。「自由を主張するならば責任を果たさなければならない」というように、経営者が「責任」を押し付けて「自由」を見返りとするようなスタンスではなく、組織内の個々のメンバーが「主体性を発揮すれば自由を感じることができる」という事実を知ることが、「自立」した組織に向かって成長し始める一歩になります。

「自由」は、何かを犠牲にして手に入れるものではなく、「自分の意思」次第で感じることができるものなのです。選択する力がなく、決められない人ばかりの組織は、主体性がなく、「自立」できていない依存型の組織です。依存型組織からの脱却方法は、義務感に縛られた「不自由」な環境にしないことです。自立型組織への転換方法は、責任感(主体性)を発揮できる自由な環境をつくることです。

「責任」の元では、「義務」は他人から与えられるものではありません。自ら生み出し、課すものであり、ルールさえも自分たちでつくるものです。これは「自律」です。「自立」した組織は、「自律」を生み出します。

私は、しばしば、わが社の社員たちに言われます。「自由」な環境は一見楽なようで厳しいと。それは、自分で考え行動していかねばならない状況に追い込まれるからだと。

参考:「自立」と「自律」の関係性 http://hadakanoshacho.com/self-reliance_self-controlled

【まとめ その6】:「自立」を生み出す原動力は「反応する力」である

社長の仕事をもっと楽にするには?

では、具体的に、「自立」した組織にするためには、何から、誰から、手を付けたら良いのだろうか?という疑問が頭をよぎります。

さらには、
「責任を果たさないおまえたちが悪いから自由がないのだ!」
「おまえたちが悪いのだから、先に行動しろよ!」
などの言葉が頭から離れず、悶々とした気分に包み込まれそうになります。

freedom-responsibility09経営者は、ついついこのような思考回路にはまって出られなくなってしまいます。今度は、経営者自身が「なぜ?」「どうして?」に苛まれて不自由さを感じてしまうのです。

ところが、従業員たちが、なぜ主体性を発揮できないのかということを考えれば、そこにはきちんと理由が存在しています。従業員は、行動しないのではなく、できない理由があるのです。その理由は、そもそも「責任(主体性)=自由」として認められる環境が組織内に存在していないからです。要するに「責任(主体性)=不自由」になってしまっているわけです。

失敗すれば、大きな制裁が待っている、出る杭が打たれるというような風土が存在していたりするのです。正直者や最初に手を挙げた人がバカを見る、損をする、というような風土では主体性は育ちません。また、ペナルティやお説教など、失敗に対して柔軟ではない組織にも主体性は育ちません。行動するための「勇気」が出花で挫かれてしまうのです。

決めることができる環境は自由度を高くしますが、失敗の恐怖がつきまとえば、反対に「依存」の状態が加速してしまいます。それを回避するためには、従業員たちが「勇気」を出して行動できる環境に、経営者自身が「勇気」と「覚悟」を持って実現していく他にありません。

では、経営者にとっての「勇気」と「覚悟」とは何でしょうか?
それは、「自由」な環境をつくるために、「任せること」、そして、すぐに成果を求めずに「待つこと」です。

人の成長は一朝一夕には成り立ちません。私も経験上、よくわかりますが、任せることも、待つこともしんどいことです。実践する上でつきまとう恐れや不安に立ち向かうことは「勇気」が要ることです。従業員の悪いところばかりが目につき、疑心暗鬼になって、ついついイライラしてしまうこともあります。しかし、目先のことだけ見ていては、「自立」した組織は育ちません。

「あなたが良かれと思うことをしてください」
これが、私の経営における基本スタンスです。
社員の「良心」に任せる経営です。
だから、ルールは基本的には存在しません。
マニュアルもノルマもありません。

freedom-responsibility010作業マニュアルなど、やり方や方法を示すものはもちろんありますが、強制力をもったルールなど、義務化されたものはありません。ほとんど社員たちの自主性や主体性に任せています。もちろん行動しなかったからといって罰則もありません。極端に聞こえるでしょうが、私の経験上、過度なルール化は、主体性(責任)を削ぐことになると思っているからです。

信じて任せるというスタンスは「勇気」と「覚悟」が要ることです。これが私の考えるところの私(社長)の責任(主体性)です。その結果として、組織は「自立」しました。

「自立」した組織では、経営者の仕事が減ります。単刀直入にいえば、社長の仕事が楽になるということです。

私はおかげで、大きな「自由」を手に入れることができました。結果、この数年で複数の事業の多角化にも成功しています。空いた時間を、未来について考える時間に充てることでそれが実現できたわけです。「自立」した組織をつくることは我々経営者のミッションであると私は思います。

是非、トライしてみてください。 (^ ^)

【まとめ その7】:「自立」した組織をつくるのは、社長の「勇気」と「覚悟」。任せて待つべし

 

まとめ

  1. 選択肢があり、自ら決めることができる環境があることで「自由」を感じることができる。
  2. 過度な義務化が「自由」と「自立」を奪う
  3. 権利を主張すれば義務が加速する
  4. 「責任」と「義務」は違う。「責任」とは「反応する力」。「義務」は「反応しない力」
  5. 「依存」が「不自由」な環境を生み出し、それが「自立」の邪魔をする
  6. 「自立」を生み出す原動力は「反応する力」である
  7. 「自立」した組織をつくるのは、社長の「勇気」と「覚悟」。任せて待つべし

 

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